紳士であるチェーザレ・カスティリオーニ

チェーザレ・カスティリオーニを探求する旅は続いています。
軍事活動を退いた後、チェザーレは家族の農業事業を経営するためにトラダーテに戻りました。また、家族の農場の改築にも取り組み、18世紀の建物(現在はフィゾーニ博物館の所在地)に、エレガントなリバティ様式の別荘を組み込み、現在の複合施設の中心となるものを完成させました。この別荘は「ヴィラ・リーナ」と名付けられ、妻リーナ、そして下院議員エンリコ・スカリーニの妹に敬意を表しています。
新しい翼のスタイルは、壮大な公園とともに、時代のエクレクティックなスタイルを反映しており、リバティ様式の要素に加え、トゥーダー様式やネオゴシック様式の特徴も見られました。
贅沢なヴィラで、チェザーレは多くの事業に従事し、客人をもてなし、妻と詩について語り、新聞を読んで過ごしていました。彼の好んで読んだものの中には、「セッコロ・ディ・ミラノ」(当時最も広く読まれていた新聞)があり、その編集長は彼の友人であるエルネスト・テオドロ・モネータでした。モネータもまたガリバルディの仲間であり、1907年にはノーベル平和賞を受賞しました。
知識人でありガリバルディの仲間として、彼はリソルジメントの記憶を保存するために数十年にわたって尽力し、コモ出身のガリバルディ兵の「記録」を整理し、記念行事や巡礼に参加し、情報を収集して丁寧に保存しました。また、当時ミラノのスフォルツェスコ城にあった「千人の博物館・歴史アーカイブ」に多くの寄贈を行いました。1910年、リソルジメントの50周年を記念して、彼はガリバルディゆかりの地を巡る公式巡礼に参加するため、パレルモに向かいました。
1915年、74歳で、チェザーレは再び古いガリバルディの制服を身にまとい、クォルトの千人隊記念碑の除幕式に参加しました。
また、1870年からチェーザーレはトラダーテの政治生活に積極的に関わり、市議会議員として1910年までの40年間、活躍しました。議員や有力者として、地元教会との関係、道路整備、衛生管理、慈善団体など、さまざまな問題に取り組みました。
次回は、チェーザレの生涯の最後の章を深掘りし、彼が多作な実業家でもあったことについてもご紹介しますので、ぜひご期待ください!
マルコ・モケッティ
(出典:ダヴィデ・ザッファローニ著『Cesare Castiglioni dei Mille di Marsala』、Macchione Editore、2008年)